校章

校名の松の若芽を図案化したもの。
明治44年の木彫りがある。

校長

城田 純子

生徒数

全校児童数 736名  (令和3年4月1日現在)

沿革

平成20年 土俵開き(5月13日),まけるな相撲松尾場所(10月3日)が行われる。
19年 北校舎,体育館で耐震工事が行われる。そのため夏休みが7/31~8/30となる。
学力向上フロンティア拠点校事業の最終年(3年目)国語算数を同日公開(11月8日)
松尾地区自治会に土俵と土俵等を入れる器具庫を作っていただく。(12月16日)
18年 学力向上フロンティア拠点校事業2年目。国語,算数を同日公開(10月26日)
児童引き渡し訓練が行われる。(9月2日)長野県学校書道展,学校表彰を受ける。映画「母べえ」の撮影が児童クラブ講堂で行われ、1~3年児童180名余,校歌を歌うシーンで参加。4~6年40名余は歌の録音に参加。
17年 学力向上フロンティア拠点校事業の研究指定校となり,2階の公開を行う。(7月、11月)
中校舎で新入生の学習がはじまる。5年の社会見学が1泊2日の臨海学習となる。
長野県学校書道展,学校表彰を受ける。
漢字検定,優秀校に選定される。
西プール濾過機入れ替え。
16年 三代目オオサンショウウオが液浸標本として再び学校に戻る。追悼展示集会を行う。(9月30日)
SBC学校科学大賞奨励賞受賞(6年1組)
新コンテナプール使用開始。(12月6日) 中校舎竣工式(12月20日)
15年 「ソニー子ども科学教育プログラム・奨励プロジェクト校」に2年連続で選ばれる。
三代目オオサンショウウオ死亡(10月25日)昭和44年からの本校34年間の寿命を閉じる。(体長1m30cm,体重27kg)液浸保存のためのPTA寄付を集める。
校舎増築工事開始(3月),校舎増築安全祈願祭(3月16日)
コンテナプール仮設工事
14年 松尾小学校開校130周年記念式典,記念イベントの開催:谷川俊太郎・賢作親子による詩の朗読やピアノ演奏等。
松,竹を使った環境学習が評価され「ソニー子ども科学教育プログラム・奨励プロジェクト校」に選ばれる。ソニー財団より教育助成金・パソコンなど送られる。
13年 国土交通省中部地方整備局長賞受賞(奉仕活動「ピカピカルンルンデー」)
伊勢氏との交流会,参加者18人(内職員2人)、伊勢市大湊小学校へ
12年 東プール改装竣工式。ベトナム,文部省代表来校(11月24日)学校南東の歩道完成。
11年 黄柳野高校 児童文化研究会 大型紙芝居上演(7月22日)
学友林開山式(2・4・5年代表学級出席)(11月22日)
10年 人形劇カーニバルにクラブ員「オオサンショウウオ」で参加。
日本テレビ「欽ちゃん仮装大賞」で5年生3位入賞。(1月3日)
ベルマーク100万点収集で表彰。(1月11日)
9年 学校長主催の,毎月第二土曜日の松尾探検隊発足。
国際理解教育としてロシアのアイスホッケー元五輪選手との交流会。(9月25日)
中庭ビオトープ「みんなのせせらぎ」の水流整備。
冬季長野五輪,複合・滑降・アイスホッケーを3・5年生が観戦(2月6日)
8年 帰国子女教育研究協力校の指定。
7年 伊藤温先生(ハルピン師範大顧問教授)より終日音楽指導。(9月30日)
6年 文部省帰国子女教育研究協力校に指定。
5年 本年度より市立病院の「院内学級」が松尾小学校の所属となる。
4年 「はだしの生活(夏季の間)」をNBC放映。サンショウウオの記事が信濃毎日に載り反響あり。学校週五日制実施,9月より第2土曜日が休日となる。
3年 5年生臨海とトヨタ自動車の社会見学を一泊二日で再開。
2年 中国等外国よりの「引揚げ帰国孤児子女学級」の新設認可。
元年 倉沢興世作「青年の像」卒業生及び還暦の卒業生より寄贈。城田孝一郎作「鳥を抱く少年」元年度卒業記念品。
昭和63年 NBSTV,はだしの生活放映。
62年 スケート場を水田としても活用しはじめる。東プールコンクリート大修理。
61年 「夢と希望の像」玄関前に設置。(6月15日)
60年 学校周辺の下水道工事着工。本校累年保存の図画作品信濃教育会自由画作品展に出品。
59年 校舎新築記念の航空写真。伊勢市大湊との交流会(7月29日、9月23日)。学校スケート場(北校舎北)再整備。
58年 校舎全面改築終了。中庭花壇コンクール優秀賞,新林緑化表彰。中庭にひょうたん池,学年花壇作成。
57年 南校舎改築落成 11月21日落成式。「まけるな」の碑を中庭に建立。中校舎をとリこわして,花壇,うさぎ小屋,鳥小屋,農具小屋完成。
56年 南校舎改築工事に着工。8月末旧校舎とりこわし,改築工事にとりかかる。(9月はじめ)体育館の落成式。(5月24日)
55年 体育館に着工。おにぎり・塩むすび遠足開始。安全の日を毎月18日に設定。
54年 卒業記念に土俵完成。松尾地区教育懇談会始まる。
53年 東日本社会人ラグビー大会(ミニ国体)及び秋の国体に鼓笛隊参加。
52年 北校舎授業開始。(8月18日)北校舎落成式挙行(11月20日)
51年 北校舎鉄筋三階建起工。児童会歌完成。本年よりNHK及びSBC合唱コンクールに参加。努力賞優秀賞受賞。
50年 学校無人化開始。
49年 松尾学校沿革史完成発行。
48年 記念西プール竣工。
47年 開校100周年記念式典挙行。記念事業(グランドピアノ1台・デスクオルガン10台・美術館設置。新プール開設・チャイム一基・松尾学校沿革史・卒業記念作品保管箱3個)
44年 二代目オオサンショウウオ死亡。三代目の飼育はじめる。(体長50cm)
43年 新放送施設完成。岩石園造成。
42年 松尾共同調理場竣工。国旗掲揚塔建立。(卒業記念)
41年 プール浄化装置完成。学童クラブ開設入所式挙行。
39年 全校詩集「ふたば」を作りはじめる。
38年 開校90周年記念式典挙行。西体育館ステージ改造完成。特殊学級2学級新設。西体育館天井工事完成。開校90周年沿革小史発行。
36年 中校舎へ非常階段設置。松尾小学校PTA創設。
35年 松尾中学校,緑ヶ丘中学校に統合移転。中校舎西半分とりこわす。
34年 東プール竣工(湧水である学校水道水の導入)
31年 飯田市に合併。飯田市立松尾小学校と改称。
二代目オオサンショウウオの飼育開始。
30年 初代オオサンショウウオ死亡。
24年 中学校東半分増築(中校舎)。松尾小中学校PTA結成。
22年 六・三学制実施 松尾小学校と改称。松尾中学校開校式(4月8日)
16年 松尾国民学校と改称。
12年 文部省より「体育」省令により表彰。(13年2月11日)
9年 北校舎東半分増築(10教室 昭和52年取り払い)
3年 北校舎(昭和52年取り払い)・西体操場(昭和56年4月取り払い)・奉安殿(東へ移転)・大運動場落成式。(4月28日)
大正11年 学制頒布並びに開校50周年記念式典挙行。松尾教育沿革紀要発行。
7年 校舎増築(西館の一部) オオサンショウウオ飼育始める。
3年 毛賀分教場を廃止し完全統合なる。
明治44年 新築校舎落成(旧南校舎)毛賀尋常小学校廃校分教場となる。
43年 卒業生全員の図画,習字,作文の保存を始める。
42年 松尾校模範校として文部大臣より表彰(3月30日)
41年 義務教育六ヵ年となり,松尾校では高等科2年を設置。
37年 松尾校県知事より表彰され人体模型一基交付される。徽章制定。奉安殿新築落成。
33年 松尾学校西館落成。校歌制定(作詞 浅井 冽  作曲 依田弁之介)
32年 毛賀学校校舎落成(12月10日)
29年 屋内体操場新築。(東体操場)修学旅行はじまる。高等科3,4年生15人参加。
25年 毛賀尋常小学校独立,松尾学校に高等科設置。
19年 松尾・毛賀両校を合併。下伊那郡第二十番通学区高等小学校松尾学校と改称。11月3日はじめて運動会を行う。
17年 新校舎建築,11月落成式(松本開智学校と同じ様式 昭和10年取り払い。)
15年 初等科3年,中等科3年,高等科2年の制度となる。戸長役場の全部を仮校舎に使用。
12年 校舎が狭くなったので戸長役場の一部を仮教場にあてる。
10年 松尾学校にて下等小学卒業生男11人,女3人を初めて出す。
9年 松尾・島田両校を合併して松尾学校と称す。9月3日後者は八幡社の舞台を使用。
8年 11月筑摩県より校名改称の付達,校名に町村名または地名を付す。
精勤学校…松尾学校 導蒙学校…島田学校 多智華学校…毛賀学校と改称。
6年 毛賀校開校。1月7日関医師の自宅を使用。筑摩県六十六番小校と命名。6月誓願寺を引き払い八幡神社の舞台に移転。文部省より校名を付すよう通達があり,北校(導蒙学校)南校(精勤学校)毛賀(多智華学校)と命名。
5年 「学制」発布。久井誓願寺を修理し,8月4日開校。筑摩県三十一番小校と命名。就学児童数103人(男70・女33) 10月校舎が狭いため龍門寺を北校,誓願寺を南校として学区を二分す。読み方,算術,習字の三科を教授。